写真の刺激

今月のEsquireの特集、「旅する写真家」。 電車のつり革広告に載っている
のを発見し、昨日購入。

出てきた写真家はヴォルフガング・ティルマンス、など。(←人気ありますね、なんか)

自分も出会ったかもしれない風景が多かったように思います。「旅」の写真だからなのかもしれませんが。

しっかし、ありきたりな疑問ですが、「「良い」写真」ってなに?」という思いがいつもあります。 

批評の中で「世界はすでに写真で取り尽くされた」と言う言及がありましたけど、 未知の景色を伝えるということは写真表現としては成り立たないんですよね、だいぶ前から。

被写体単体での訴求力が出しにくい中で、写真の「よさ」とはどのような構造でなりたっているのか。

昨日の平田オリザの言葉を借りれば、「最適刺激量を測るための実験」が行われているのが現状なんだと思います。

蜷川実花の写真にインパクトがあるのは、あの色の刺激量が適量であるから。であるとするのなら、その刺激の程度は時と場合によって変化するはず。というより、まさに色あせていくはず。

演劇と違い、「一回限り」の表現ではないところが、写真の厳しいところだと思います。プリントアウトした写真は永遠に残りますからね。