[]10年後のキャリアのあり方(佐々木敏尚「ネットがあれば履歴書はいらない」)





今更ながら読みました。



2009年の本なんですね。





佐々木さんの話は、いつも正しい方向のことを言っていると思います。彼の、





「世の中がこう変わっている/こちらの方向に動く」





という指摘は大抵正しい。



ちょっと違うと思うのはスピード感ですかね。

彼が想定している変化のスピード感より、実際のスピードはすこし遅いように思います。



彼の想定に3〜5年くらい足すとちょうど良いのかもしれません。



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包丁一本で生きて行く、という生き方に憧れます。



確固とした個人のスキルがあって価値をデリバーし、それに対して対価が払われるという仕組み。当たり前の仕組みのはずなんですが、会社に属していると中々こういう状況にはなりません。



たしかに、会社に属することによって安定が得られるのであれば、それは歓迎すべきことです。僕は明日食うに困るような環境に身を置きたくありません。





しかし、問題なのは組織に属することが「依存」を生み出すことです。





依存は色々と悪いものを呼び寄せます。つまり、「気の緩み」、「無責任」、「本気の消失」、、、



そして人生に張り合いが無くなります。





包丁一本で生きて行く、ということは必ずしも一人で仕事をする、ということを意味しません。プロフェッショナルが数人集まって仕事をするということは十分あり得ますし、むしろそういう働き方の方がメジャーだと思います。



(*余談ですが、私が属するコンサルティング・ファームの働き方は、まさにこういう感じです。今はまだファームの壁を越えて連帯することはほとんどありませんが、ファーム横断でチームを組むのもありなのかもしれません)





緩く繋がったネットワークの中で、仕事に応じて人が集まったり離散したりする





そういう働き方がメジャーになるにはもうちょっと時間がかかると思いますが(佐々木さんの感覚+3〜5年)、そういう働き方を選択することに違和感が無くなるには、そう時間はかからないのだと思います。







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ネットがあれば履歴書は要らない(佐々木敏尚)

[]この著者好きだな(山口陽平「そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか」)





僕はこの著者好きですね。 会ったこと無いけど。





ただ、ちょっと先に苦言を。



タイトルがいけてないです。売れてナンボのビジネス本なのでしょうがないとは思いますが、「そろそろ会社辞めようかな〜〜〜」なんてタイトルをでっかく表紙に書いてくれたおかげで、喫茶店で読みづらくてしょうがない。



スーツ着てタリーズで読んでたんで、周りから見たら絶対脱サラを考えているサラリーマンと見えたことでしょう。



まあ、それはそれとして。





ノウハウ本のようなタイトルになってしまっている本ですが、行間から透けて見えてくるのは思いを持って起業して苦しんで今に至った著者の等身大の姿です。ただのベンチャー経営のノウハウ本ではありません。





その意味で「社長失格」に近いかな。(本書は倒産の話ではありませんが)



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社長失格―ぼくの会社がつぶれた理由 (板倉 雄一郎)





大学の時に「社長失格」を読んで、成功も失敗も開襟して話す板倉さんの姿に感銘を受けました。山口さんは板倉さんとはまったく違うタイプの経営者(かつ、会社を倒産させたわけではないので状況も違う)だと思いますが、行間から人間性が染みだしてくる本という意味ではちょっと似ています。



***



本の内容。





前半は収益モデルを工夫して作りましょうということが説かれています。

著者の言葉で言えば



"何をやるか(What)よりもどうやるか(How)"をきちんと考えることが重要




ということになります。このHowの部分が収益化の話。

お金(¥)の取り方に集中してビジネスモデルの類型を語っています。



何(What)をやるかは個人のaspirationで決まってきます。だから、正直、ここは頭を使って決めることではない。心で決めることです。 



しかし、戦略を作るには頭を使わないとならない。競争優位の話(この本では語られていない)もありますし、スタートアップにとってはここで語られている収益化の方法が非常に重要なんでしょう。





この視点はとても重要。





それから、これから起業をする人に向けたリアルな経験談が続きます。ロジカルな考え方で経験をまとめているので、大変わかりやすいし参考になります。



山口さんは、自分の経験をファクトとして捉え、そこから一体何が言えるのか(=示唆)をきちんと抽出して読者に示してくれています。(「潜伏時代〜独立時代〜起業時代」の話、等)



もしかしたら、著者にとってこの本を書くことが自身の考えの整理に繋がっているのかもしれません。





タイトルはいけていませんが(しつこいか。。)、良い本だと思います。







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そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか (山口揚平)




[]オジサンはこれからどうやって生きて行けば良いの?(内田樹・岡田斗司夫「評価と贈与の経済学」)





20代の中頃、仕事で名古屋に向かう新幹線の中。



初めてレヴィ・ストロースの著作を読んで衝撃を受けたことを思い出します。





サンタ・クロースの秘密」という本でした。



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110ページくらいの薄い本なので、「贈与」に興味のある方は是非読んでみることをお勧めします。





そもそもクリスマスっていうのはなんなのだ?という日本人が考えたことも無い問いで論考が進んでいきます。





「子供vs大人」という対立から「死者vs生者」という対立構造をクリスマスの中に見る、というすごい話です。ここで念頭に置かれている概念も「贈与」です。





***





社会は「贈与」の力で回っていきます。しかも、この傾向は今後強まっていく。



岡田斗司夫内田樹が極めて秀逸な例で語っていますが、「パスはパスを出す人のところに集まっていく」のです。(そしてゲームは進んでいく)



こうした「贈与」がより重要な機能を果たすようになっていく背景には、「お金の多小」を価値観の中心に持ってくることのやりきれなさがあります。



ぶっちゃけて言ってしまうと、今後お金をたくさん稼ぐことはとても難しいことになるのだと思います。達成が難しいことを価値観の幹におくと、社会は不幸せになります。



ファーストリテーリングの柳井会長は、きっとそんな甘ったれた考えは許してくれないと思いますが、残念ながらお金を稼ぐ競争から「降りる」人は増えることはあっても減ることはなさそうです。





それから、お金で買えない価値マスターカードのCMじゃないけど)に、より強く惹かれる人が多くなったということも「贈与」の力が強まる一因だと思います。



自分より下の世代を見ていて思うのですが、僕らの世代よりも下の世代の方がこのあたりの感性は鋭い。新しい時代に上手く適応しているな、と本当に思います。







さて、困ってしまうのは僕らの世代を含むオジサンです。



というのも、どう考えても、そういう時代を生きて行く心の準備が出来ていない。経済成長とか年功序列で賃金が上がるとか、旧時代の環境に体の半分が浸かってしまっていたため、考え方の調整が上手く行かないのです。



柳井さんの本を読んで危機感を感じ、必死にグローバルで戦えるスキルを身につけるため努力する、というのが僕らの世代が一生懸命やっていることのように思います。





僕はスキルを磨くことはとても素晴らしいと思います。一生懸命努力することも大好きです。





だけど、今一度立ち止まって、自分の時間(とお金)を何に投資するのかをよくよく考えた方が良いと思うのです。





この先出現する社会は、これまでの延長上のものではなさそうです。多分、もっと貧乏で、もっと温かい社会が出現するのだと思います。そういう社会で生きて行く時に自分に足りないものはなんなのか?



それは本当に語学のスキルなのか?ロジカルシンキングなのか? 仮にそれを身に付けたとして、あなたの立ち位置はどこにあるのか?



一つ一つのスキル上達が、社会と自分の関係のどこに位置するものなのか、そんなことをしっかりと考えると良いのだと思います。







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Kindleで買えます)

[]15分で読める漱石の「自己本位」の考え(夏目漱石「私の個人主義」)





高校の国語の先生に「モップ」というあだ名の先生が居ました。





あだ名の通り髪の毛がもじゃもじゃの先生でした。東大仏文科を出たインテリで、口癖が「おまぁえ〜たちは、馬鹿ぁだから〜」でした。 生徒には当然嫌われていましたが、僕はこの先生が好きだった。





この先生がやたらと生徒に読ませていたのが夏目漱石でした。「私の個人主義も夏休みの課題か何かで読まされたものだと思います。





何十年かぶりに、ふと思い出すことがあって、青空文庫のものを読んでみました。

(なんと、いまは青空文庫無料で読めるんですね!)



***



漱石がロンドンで心を病んだことはよく知られていますが、講演の中で漱石は「自己本位」という概念が彼を苦悩から救ったと言います。





「鵜呑と言ってもよし、また機械的の知恵と言ってもよし、とうていわが所有物とも肉ともいわれない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを誉めるのです」



「けれどもいくら人に誉められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です」


(中略)

「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやという気概が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自己本位の四字なのであります」






「私の個人主義」は大正3年に学習院の講堂でなされた講演ですが、それから100年近く経った今でも人は漱石と同じ悩みを抱えています。漱石の話は、今を生きる我々に鋭い問いを突き付けてきます。





すなわち、「あなたは本当に自己を拠り所とし、考え・話し・行動しているのか?」





この悩みは大人になればなるほど深まっていきます。生まれてこのかた、社会の価値観に基づいて人生の選択をすることに慣れきってしまっているため、自分が何を求めるのかわからなくなっているのだと思います。



漱石は自らの力で「自己本位」という概念をつかみ取りましたが、その認識の変化をサポートするのがコーチンのひとつの役割なんだろうと思います。



僕は、正直ライフ・コーチングに苦手意識を持っていました。(代わりにビジネス・コーチングは最初からしっくりきていた) 人の価値観が確かにガラリと変わる瞬間に立ち会う恐ろしさ、、というか怪しさがしっくりこなかったのだと思います。



ただ、漱石の「わたしの個人主義」を読んで思うのは、人間の発達段階で「自己本位」の感覚をつかむことはどうしても必要だということです。そして、それは恐ろしいことでも怪しいことでもない。





自力で「自己本位」をつかむ人も大勢いますが、そうで無い人にちょっとした手助けの手を差し伸べること。コーチがやっていることはそんなことなんだと思います。







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青空文庫からダウンロードできます。Kindleが便利)

[]論語への招待(渋沢栄一「論語と算盤」)

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とある人がお勧めしていたのを目にして読んでみました。大事業家の渋沢栄一の商業観を綴った本です。





発達モデルとして、人は



・社会的構成員

 −社会の価値観を受け入れ、それを順守する

   ↓

・自己創造

 −自分は何を本当は望むのか、に気づく

   ↓

・自己への気づき

 −自己の望みは世界を見るフィルターのひとつにしか過ぎない、と達観する



という段階を経て成熟していく、という話があります。



事業家は、多くの場合「自己創造」のステージに有り、自分が何を望むのか自分で分かっています。(だからこそ事業を興す) そして、その先の「自己への気づき」ステージに入っていることも多く、自分の望みを追及すると同時に、それを犠牲にしたとしても何かより大きなものに貢献すると言われています。



渋沢栄一の場合は、それが「論語」を軸とした商業を追及することだった、ということなのだと思います。



ただ、ちょっと解釈が難しい。というのも、この本、文体から「社会の価値観」を強調しているように見えるんですよね。「人はこう生きるべき」という押しつけがましさは無いのですが、社会の構成員になりきっていない青年に対して、年長者として訓読を述べている、という印象はぬぐえません。



「こう生きるべき」というアドバイスは、それはそれで良いのですが、この本を読む読者の大半には刺さらないのではないでしょうか?というのも、こういう人はすでに社会の価値観はなんであるかわかった上で、それでもまだ何かに悩んでいる人たちだと思うのです。(そういう人じゃないと、こんな本をわざわざ手に取らないと思う)



こういう人達が悩む点は、

・社会の価値観と自分の望みがこんがらがって、自分は本当は何をしたいのか良く分からない



ということか、もしくは、

・自分が何をしたいかはわかっているが、もっと崇高な価値があるんじゃないかという直感がある



ということなんじゃないかと思います。



この本は、そういった問いに対してはヒントを与えてくれません。それは、渋沢栄一という人物が生きた時代が、社会規範と自己の望みを極めて切り離しにくかった時代だからなのかもしれません。ただ、それでもこれだけの大人物が生涯規範とし続けた論語の中には、個人の望みを超える何かがあるのだと思うのです。



もしかしたら、渋沢栄一論語を自分の中に取り込んだプロセスを自分自身で追体験することが必要なのかもしれません。わからないことがあったらソースに戻る。そんなことが必要なのかもしれません。

[]今こそ読み直すべき本(ミヒャエル・エンデ「モモ」)

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これは驚きました。



この本は30代になったら読み直すべき本だと思います。



小学校の時に、課題図書で読まされた記憶があるのですが、30代半ばを過ぎた今の方が感じたインパクトは大きい。こんな感じのメッセージを受け取りました。



人間はそもそも創造力を持ち、金銭の有無とは関係なく豊かに生きる力を持っている。それが、自分たちが社会の価値観として作った価値観に沿って行動していく中でいつの間にか失われている。



・何のためにセワシク生きるのか?

・それはどのような価値観に基づいているのか?

・自分は本当は何を望むのか?



そんな内容を、モモと時間泥棒の話を通して伝えようとしているように思います。



あと、友人に言われて初めて気づいたのですが、モモっていわゆる「ナチュラル・コーチ」ですね。モモと話すことで、人は自分が本当は何を望んでいるのか、何が問題なのか、自分で気づいていく。



古い本ですが、改めて読み直す価値有りだと思います。