[]公共広告の力

質問:公共広告が人を動かすには何が必要でしょうか?


月曜日は会議が長いんです。本日も昼過ぎから8時間会議。8時間で終わっただけましなほうです。 扱っているカテゴリーが多すぎて、議題が山積みになるんですね。

これだけ議題が多くなってくると、プレゼンテーターの段取りがちょっとでも悪いと、すぐにイライラが溜まってきます。


「こういう問題が起きています。対策をご相談したく、、、」


なーんてプレゼンをした瞬間にバッシングです。 

「私はこうしたい。だから○○をして欲しい」という意思が見えないプレゼンは本当にやめて欲しいです。 議論が散漫になって、結局結論が先延ばしという事態になることがほんとに多い。 常日頃から大きなストーリーに基づいて仕事をしているかどうかが、こういう時に見えるように思います。



さて、久しぶりに「Pen」を買いました。「「ん!」とうなる広告のデザイン」というタイトルで買ったんですがね。 特集に登場する広告だけあって、どれもこれもちょっとウィットが効いている世界の広告特集となっています。


逆に言えば、ごくごく普通の広告はここには出てきません。


ちなみに、ここでごくごく普通の広告とは、とあるプロダクト(社会的プロダクトを含む)のベネフィットを訴求して、対象者に何らかのアクション(大方は「買ってもらう」というアクション)を引き起こさせる広告のことです。


話を公共広告に絞ります。


今号のPenにも出ていましたが、公共広告を目にする機会が増えてきました。表紙の銃の絵は電通の徳田さんの「リタイアした武器」というアイデアイメージですが、これもある意味パブリックな広告と言えます。

ところで現状の公共広告、事態のクリエイティブの大部分が「事態の深刻さ」を伝える部分に割かれすぎているように思います。

そして、広告としてはそれは落第ではないかと思っています。なぜなら、公共広告の第一の目的は、「その問題を解決するなんらかのアクションを取ってもらう」ことにあるからです。


「うわ〜、世の中こんな大変な問題になってるんだね〜。なんとかしなくちゃね〜」


以上終了。 (すぐに忘れて日常に戻る)


一般の人なんてそんなもんだと思います。 いや、逆に言えば、公共広告が伝える世の中の惨状に一回一回深く悲しみ、アクションを起こすような感受性を持った人が居たとしたら、その感受性の強さゆえに、この世の中はひどく生きにくいものになってしまうんではないかと思います。

「大変だね〜。なんとかしなきゃね〜」で済ますことができるからこそ、ごくごく平凡に生活できているのかもしれません。


まあ、そんな意味で、ほとんどの公共広告には人を動かすパワーは無いんではないかと思うんです。


とは言え、公共広告は広告である以上、その目的を果たさねばなりません。


問題を理解してもらい、かつアクションを起こしてもらう為にはどうすれば良いのか。それを考えるのが戦略的なクリエイティビティだと思います。

1つ、面白い広告がありました。 スペインのAmnesty Internationalの広告なのですが、、、、。まあこれはちょっと文字では伝えにくいですね。 実際に見て頂きたいです。



一応説明をすると、広告に切り取り線が入っていて、そこを切り取ると、「絞首刑のロープが切れたり」、「手錠が切れたり」、「銃殺刑が中止になったり」するんです。

要するに、Amnestyの主張するアクションがビジュアル的に実行されるわけです。

さらにすごいところは、この切った半券が寄付カードになっているということ。

要するに、問題の主張からアクションまで連結したクリエイティブになっているというところがポイントなわけです。

問題を理解した人が、(その問題を忘れないうちに)アクションできるように段取っている点が優れたクリエイティブだと思います。

ぜひご参考に。。


なべの答え:インパクトとアクションの両立