[]はじめての構造主義

質問:2005年の消費者と1950年の消費者、どこが違うんでしょうか?



講談社現代新書の表紙、やっぱり変更前の方がよかったんじゃないですかね?新しい表紙デザインは中島英樹という人の仕事のようですが、ちょっとこの■と色だけの表紙は好きになれません。


「はじめての構造主義


僕が持っているものは昔のデザインのバージョンなんですが、今のところこっちのデザインの方がしっくり来ます。 講談社にはデザイン変える前に、この本を再版して欲しいです。


新書の内容って、本によってまったく違うじゃないですか。ジャンルも違えば、ロジックの組み方も違うし、書体も違う。 

ある本とある本が違う、その違いの程度と、同じ■のデザインに色だけ微妙に違うという、デザインの違いの程度が一致していないように思うんです。

ま、本屋でお目当ての本を探しにくいっていう現実的な理由もあるんですけどね。


さて、表紙はさておき、この橋爪大三郎の「はじめての構造主義」という本。名著だと思います。お勧めです。


内容は濃く、文体は軽く。2回読みましたが、かなり強いインスピレーションを得ました。

この本は構造主義の中でも「レヴィ・ストロース」に焦点を絞っています。ストロースの思想のうち、前期の婚姻論と後期の神話論、双方を解説しながら、根底にある「構造」概念をわかりやすく提示してくれます。

さらに、橋爪さんは、ストロースの思想の背景に、ソシュール言語学と数学の影響を指摘しているのですが、ついでにこのソシュールと数学の解説までしてくれます。200ページ足らずの短い本ですが、読了後はいろいろなことがかなりすっきりします。


マーケティング活動も往々にして言語学現代思想の影響を(端っこの方ですが)受けているので、この領域の人々がなぜ「ああいう分析」や「こういう分析」をしようとするのかがちょっとわかります。 (市場を分析するときに、いつも2軸で切りたくなるのはなぜか、とか。1軸でも3軸でもなく、2軸ですよね、いつも)


僕の場合は、マーケティングの考え方そのものが激変しました。


マーケットや消費者や競争環境を「構造」として捉える際の、すっきりとしたフレームを得た気分がします。

例えば、消費者市場を分析する際に、ストロースの神話分析のフレームをそのまま持ち込むと、


○マーケットとは、ある構造の「置換群」であると定義される
○現在、我々が観察している消費者市場は、その構造の異本(ヴァリアント)である
○異本(ヴァリアント)は神話素のような構成要素で成り立っている
○時間軸・空間軸を通じて、構造は普遍である
○昔の市場と今の市場の見え方が異なるのは、それが置換=変換されているからである

○ビジネスとして成立するのは、
 1.「失われた構成要素を提供する」
 2.「構成要素が失われないように補充する」
 3.「構造体を置換する」
 4.「構造体の置換時に便乗する」
の4パターンしかないのではないか


ちょっとわかりにくいですね。 ま、でもひらめきのメモっていうのはいつもこんな感じですしね。


わかりやすく言うとこういうことです。


世の中、ヒット商品というものが出てきます。でもこのヒット商品、形・デザイン・機能、すべて新しいわけですが、昔あった「何か」の代替物のような気がするんです。 昔あった何かが「置換」され、同じ構造の中で形を変えて出てきているのではないか、と。


ここで、「代替物」とは、例えばウォークマンに変わってiPodが流行りだした、というような連続的な意味ではありません。 2004年のiPodは、1950年の力道山の代わりかもしれない。そんな意味です。


消費者と消費社会を構成している要素って実はかなり限定的な数しか無いんじゃないか。それら要素と要素の構造って、実は普遍なんじゃないか。ただ、表象だけが、タイミング、タイミングで置換されて異本化しているだけなんじゃないか。


そんな気がしてならないんです。


なべの答え:実は同一構造?