[]世界を変えるお金の使い方
質問:寄付って気持ち良い行為だと思いますか?
「世界がもし100人の村だったら」という有名な本がありますね。
世界が100人の村だったら、20人が栄養が十分でなく、1人が死にそうで、15人が太りすぎ、、、というあれです。
世界の問題を、100人の村に置き換えることによって、一般人の想像力の範囲内で描写した鋭い本でしたが、この本も似たようなコンセプトで書かれています。
「100円でミャンマーのこども5人にポリオワクチンが打てます」
「100円で内モンゴルのホルチン砂漠にポプラの苗木を10本買えます」
など、「え、それってすぐできるじゃん」と思えるような「社会的お金の使い方リスト」になっています。
で、冒頭の質問になるわけです。
昨日の森岡さんの話ですが、「より豊かに暮らしたいという生命の欲望」を前提にしたとき、「社会的なお金の使い方」がその欲望に即した形で提示されていないと、普通の人々は動かないわけです。
この本に書かれていたような「100円で〜」という行為。これはエンターテインメントとして成立しています。
「え、たったそれだけでそんなことができちゃうの!?」
そういう感覚が引き起こされるうちは、そのエンターテインメント性ゆえに、こうしたお金の使い方をしてみる人もいるでしょう。それは生命の欲望に即した「快楽消費」だからです。
ただ、一人一人の一回限りの「快楽消費的」寄付行為で、問題がすべて解決できるほど甘くはないでしょう。
言い方は悪いですが、それぞれの寄付行為を、一回限りのエンターテインメントではなく、継続的なエンターテインメントとして成立させられるかどうかが鍵となるはずです。
そのためにどのような仕組みづくりが必要なのか。 自分で試してみる必要がありますね。