[]東京物語

東京物語



小津安二郎


こういう映画を観ると、自分が日本人なんだということを思い知らされます。


取り立ててストーリーが面白いわけではありません。上京してきた老夫婦の観光を中心に話はゆったりと進みます。最後の最後で、老夫婦のお母さんの方が死んでしまうので、ストーリーに張りが出ますが、この展開は僕にはほとんど意味がありませんでした。



この映画のキモは「お茶を出す」という行為にあると思います。


覚えている限りで、上京してきた老夫婦に5回、お茶(もしくは食べ物)が出されています。この行為は、誰かが訪ねてきて「お茶をどうぞ」と出すだけにとどまらず、寝る前に「今、お水お持ちしますね」といって、頼んでもいないのにコップ一杯の水を出したり、「浅草まで行ってきたから饅頭買ってきたんだ」といって、差し入れをしたりする行為としても現れます。


家族の間でも一定の礼節を弁え、きちんとした挨拶をしていた頃の日本の話。しかし、家族の会話は、礼節の型にはまったもので、はっきり言って会話は会話として成立していません。

何か突拍子も無いことを言って相手を笑わすという偶然性はなく、「いい天気ですね」「あー、そうだね」という表面的なやり取りで会話が終わっています。


そのぺらっとした会話上の関係性に、血を通わせ、「ああ、そうは言っても強い絆で繋がっているんだな」と感じさせるのが、「お茶を出す」という行為に見えました。


レヴィ・ストロースが明らかにしたように、人から人へ何かを渡す(贈り物をする)という行為は、エネルギーの循環行為であり、お茶を出すという行為の中に代表的に現れる「気を使う」感覚が中身のない会話レベルにおける関係性を強く補完しています。



こういうコミュニケーション形態が日本独自のものなのかどうかは、僕には良くわかりませんが、なにやら懐かしい感覚がするのも事実です。


映画の中心は、やっかいになる上京中の両親と、親を離れて独立した生活を築いた子供達、さらに、感傷的な側面は最小限にされていますが、戦死した次男の嫁(原節子)の本当の子供以上の両親への気遣い、といった家族の関係にあります。


大枠での家族の関係(親⇔子、嫁⇔姑)に、綿密な関係性の匂いを漂わせる、日々の暮らしの中での言葉・行為の掛け合い。


緻密な映画です。