[]是枝さんの話を聞いていて、なぜか組織論について考えた





「マル激」で「映画監督・是枝裕和がまだテレビにこだわる理由」を観ていて、なぜか組織論について考えました。



番組の内容自体は、60年代のTBS的なものに関しての話や、映画なのかテレビなのか、の話など多岐に渡りましたが、なぜか個人的に組織の話の部分で「確かに」と思う所があり。





映画監督として有名な是枝さんが、それでもテレビを志向するのは、もちろん出身のことが一つだけれど、組織の話がある、と。映画は大きな組織を動かす必要があるけれど、テレビのドキュメンタリーは個人の関心をドライバーにして機動力を持って動ける、とコメントをしていました。



神保さんも、組織が大きく・古くなると、複雑怪奇になるという話で、今のテレビ局で番組を作るのは地雷原を歩くようなものだ、というコメントをかぶせていました。







組織の適度な大きさ、というのは、どこでも同じようなイシューなんだな、ということですね。





建築物は、サイズが大きくなると別の物理的な力が働いて、小さなサイズであった時とは異なった建築方法を検討しなければならないそうです。





要するに、大きなものは自壊する。





人間社会って、もしかしたら物理学と同じルールで動いているのかも、と思うことがありますよね。 少なくとも、レイコフ的に言えば、人間は物理学のメタファーで社会を捉えている。例えば、「組織内で「摩擦」がある」というような表現がありますが、この「摩擦」というメタファーは間違いなく物理学から来ています。



するとやはり、物体が大きくなると自壊の方向に力が働く、という考え方は正なのかもしれなくて、組織はその構成要素に応じて、「これ以上大きくしたら自壊する」という適度な大きさがあるのかもしれません。



どういう素材(つまり、ここでは人間のこと)でもの(組織)を作るかによって、その大きさは当然異なり、強い素材(優秀な人材)で作れば大きなもの(組織)が作れるけれど、弱い素材(出来ない君)で作ると、ある一定以上の大きさの組織を作ると自壊する、ということなのかもしれません。



確かに、組織を見ていて、人が多くなると、組織内のコミュニケーションがやたらとややこしくなるように思います。「俺は聞いてねー!!」とか駄々をこねる人が居るので、根回しの時間がやたら長くなり、永遠と長い議事録を作ったり、会議スケジュールの調整に膨大な時間を費やしたり、とあまり本質的ではない仕事が増えます。



決定内容も、全員の承認が必要(国連型)、ということになると、全員が同意できる部分意外は削り落とされていくので、尖ったものが排除され、なんだかつまらないものが出来上がるように思います。







是枝さんの話は色々面白い所がありましたが、話を聞きながら、なぜか上のようなことを考えました。









最新作の「空気人形」、東京ではもうやっていないようですが、DVDが3月に出るようなので買って観ようと思います。