昭和から毒を抜いて2012年の娯楽映画にするとこうなる(映画「Always三丁目の夕日 '64」)

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昭和という時代の「貧しさ」をどう見るかで、映画表現は全く別のものになります。光の部分を強調すれば「Always」になるし、影の部分を強調すれば「Tatsumi」になる。



僕はTatsumiが見せてくれる昭和の影の部分に妙なリアリティを感じてしまいます。僕らは、日本という国の長期的に停滞している経済状態から、昭和の高度経済成長を懐かしみます。その気持ちはよくわかりますが、昭和のリアルはTatsumiが描く世界観により近いんだと思います。



Alwaysは良くできた娯楽映画だと思いますが、昭和をリアルには表現しているとは思えないし、エンディングのまとめ方にも違和感を感じます。



昭和っていうのは、映画にも出てくるように、地方の二男・三男の若い人口を大量に都市に動員し、労働集約的に工業生産に精を出し、経済を成長させた時代です。その過程で、地域コミュニティが崩壊し、都会では仕事場以外に人との繋がりを持たない人々があふれました。新興宗教がこうした人々の失われた絆を結び直す役割を負い、教義が良く分からないんだけど膨大な信者が居る団体も複数現れました。



人口の増大に伴って郊外が発達し、核家族が増え、岸辺のアルバム的な家庭崩壊の時代が出現する時期でもあります。





Alwaysが描く昭和はこうした昭和像とはまったく一致しません。町内会が全員顔見知りで、隣の家のカラーテレビをみんなで観るような深い繋がりを持つ社会。しかも、その繋がり方にはこれっぽっちも同調圧力が無く、理想のコミュニティに見えます。



そんな昭和の東京なんてありえたのか。個人的にはまったくリアリティを感じません。



さらに、三浦友和演じる宅間医師から、エンディングで唐突に投げかけられる「幸せ」ってなんですかね?という問い。これに非常な違和感。



森山未来演じる出世や金もうけに背を向けた菊池医師の生き方を見ての発言ですが、この問いは映画の舞台になっているコミュニティでは成立しない問いでしょう。



町内仲良く、同調圧力もないコミュニティに住み、さらに経済的豊かさに向けて迷いなく邁進できるなら、それって最高に幸せなんじゃないでしょうか? 



チャン・イーモウ監督の「活きる」という映画で、「今日よりも明日、明日よりも明後日はきっと良くなる」と信じられる中国の庶民の生活が描かれます。しかし、この「きょうより明日」の背景には非常に大きな犠牲があることも同時に描かれています。



要するに、Alwaysという映画はリアリティを排除して、負の部分には一切の蓋をして、観たい部分だけをみせた娯楽映画なんだと思います。



だからと言って、駄目な映画とは思いませんが、そういう映画なんだということを理解して観ないと「昔は良かった」的な単純な回顧主義にはまってしまうのでは無いかとも思います。



昔は良かった的な最近の言論、ほんとに気になります。