[]消費社会の神話と構造

本日は、中目黒で陶芸をやった後、六本木のティップネス



筋肉痛もかなり引き、ちょっと組んでもらったトレーニングメニューでは物足りないような気がしてきました。 が、まあ継続を第一に考えれば、あんまり負荷をかけすぎないほうが良いのかも。


とりあえず、さくっとルーティンをこなしたあと、スタジオでヨガを30分。 


今日のヨガはハリウッドヨガとかいって、バランス重視のヨガ。 昨日のパワーヨガは半分筋トレが入っていたのですが、今日はいかにバランスを崩さないか、姿勢を維持するのが大変でした。

なんか、体のバランスが崩れてるんだろうな、と思いますね、こういうの行くと。



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消費社会の神話と構造


ボードリヤールの消費社会論


なにせタイトルが良いデス。 神話と構造だって。 レヴィ・ストロースみたい。


ちなみに、マーケットを考えるときには「神話」という視座から分析を試みるのってとっても大事だと思うんですね。


マーケットで共有される「リアリティ」の感覚を嗅ぎ取るのってマーケティングでとても大事だと思うんですね。 人は、日常生活の中で、たま〜に「リアリティ」を感じることがあって、そういう瞬間って、そっちの方向に進むものです。 この「リアリティ」という感覚、「頭で納得してものを買う」という意味でもあるし、「なんとなく惹かれてモノを買う」という意味でもあるし、ちょっとアンニュイな使い方をしているんですが、マーケットのコアみたいなものです。



で、このリアリティの源泉は「論理」と「神話」です。


頭で納得したときに発生する「これは正しい」というリアリティ認識があります。このリアリティの根拠が「論理」「です。 そして、なんか良くわからないけど「これは正しい」というリアリティ認識があります。 こちらのリアリティの根拠が「神話」です。神話は、その共同体に共有されているもので、特に理由は無いのだけれど真実だと無条件に認識されています。


ちなみに、最近のマーケットの大半は「論理」では説明出来ません。 


なんか良くわからないけど、でも客はこれを買ってしまう。単純なファクトをいくら積み上げても、そういう解には到達できないんだけどなー、ということは結構あるわけです。


そういうマーケットのリアルは「論理」じゃなくて、「神話」の積み重ねで出来ていると考える方がよっぽど良い解にたどり着ける。 共同体を特定して、その共同体に共有されている神話をあぶりだすと、なんとなく、その人の感覚を共有することができたりするわけです。


まー、そういう意味でこの本、すげー魅力的なタイトルなわけです。



内容は、ある特定の消費社会の神話と構造をあぶりだすというよりは、「現代」の消費社会とは、という切り口で分析を進めています。


僕にはなかなか難しい本なのですが、理解したところで言うと、


消費社会の基本構造とは、すべてのものが「交換」の観点から再定義されることで、極論すると、それは映画「マトリックス」のデータ画面のように、記号と記号とが交換されていく社会である。


僕が一生懸命フィットネスに通っているのも、自分の体を「道具」としてではなく「資本」としてみているからであって、市場での交換価値を高めるという神話を受け入れているからだということになります。


そして、この交換社会では、(これはまさにレヴィ・ストロースが南太平洋の島々の贈り物の儀式のところで明らかにしたことだと思うのですが) 価値があるから交換するのではなく、交換行為を行うから価値が出る。


すなわち、記号の交換を行うことにより、自分をある「雰囲気」コミュニティに属させることに価値があるのだ、ということです。それは、消費社会の基本構造の一つである、「差異化」の神話に基づいており、自らを永遠に差異化し続けなければならない神話を受け入れている我々の宿命なわけです。


わかりやすく言えば、


一生懸命フィットネスに通い、自分の身体に投資をすることにより、「都市的な」雰囲気に自分を属させ、それ以外の雰囲気から自分を差異化しようとする。なぜなら、僕は自分を差異化しなければならないという神話を受け入れているから。

ところが、この差異化というのが曲者で、自分を差異化をするために何か記号を入手した瞬間に、実はその記号は何かの模倣(すくなくとも自分で作ったものではない)でしかないことに気づき、次の差異化を探し始める。

これを永遠とやっている気持ち悪い社会が消費社会なのでしょう。


現代社会には「コミュニケーション」を神聖視する傾向があります。 政治においても、経済においても、マーケティングにおいても、とにかく「対話」、「話し合い」、「気遣い」、「サービス」。 呼び方は何であっても、とにかくすべて「コミュニケーション」の話です。


コミュニケーションがしっかりしていれば万事OK!!


そういう考え方を無意識のうちに受け入れているのが現代社会ですが、実はこれこそが消費社会の神話の根源のようです。 ボードリヤールの言葉をそのまま使うと、


「彼らは、病める社会を治すには交換の機能性を回復させ、新陳代謝をスピードアップする(つまり、またしてもコミュニケーション、関係、接触、人間的バランス、温かさ、効率、管理された微笑などを注入する)だけで充分だと考え、そのためにかいがいしく働き、その結果、利潤を上げさえするのである」


となります。


まー、すごい話ですよ、ほんと。