ブランドが神話になる日 (2004)

ブランドが神話に

先日読んだ、片平さんの「ブランドのDNA」。ハーレーの日本でのブランディングの手法の一つとして「オーナーズクラブ」が例に挙げられていました。



ハーレーのブランディングの例は、日本に限らず様々な人が引用していますが、この人(ダグラス B.ホルト)は、「ブランド関係者はハーレーをブランディングの成功例としてそのエッセンスを次のブランディングに生かそうとするが、ハーレーの真似をすることは誰にも出来ない」と言い放ちます。



形容詞の塊でブランドを理解しようとするマインド・シェア型のブランド論、五感を重視するエモーショナルブランディング論、顧客間インタラクションを重視するバイラル型ブランド論と、現状で主要なフレームワークになっているブランド論をばっさり切り、文化的なうねりと軋轢にブランド成立の根拠を求めるカルチュラル・ブランディングこそが、有効なブランド論であると主張します。





まー、潔いですね。





「アタック(花王の洗剤)にはブランド的な価値は成立しない」と言い放った和田充夫さん以来、久々に潔い人を見ました。





内田隆三だったと思いますが、「商品使用とはナルシス的概念として考えるべきだ」という話がありました。



商品使用は使用者のアイデンティティを構成する要素であると考え、そのアイデンティティ総体の中での商品の意味を考えるべきという話だったと思います。





マウンテンデューフォルクスワーゲンバドワイザーESPNハーレーダビッドソンの5つのブランドをここでは分析の対象としていますが、大きな社会・経済的なうねりの中で、消費者のアイデンティティの基盤がどのように動いたか、という特定をし、その中で前述のブランドがどのようにそのブランド的価値を作っていったか(もしくは失敗して行ったか)ということを述べます。





正直、壮大な世の中の流れの話と、1プロダクトのビジネスの話という、次元の違う話を結合させて分析が進んでいくので、怪しさ満開です。





が、僕はこういうの好きだな〜。





社会と個人、モノと心、歴史と未来。色々なものの中間に危うく成立している学問がマーケティングであって、その危うい中間地帯で鋭い解釈を成立させるのがマーケティングの醍醐味だと思いますよね、ほんと。



オススメします。