「演劇入門」平田オリザ (1999)

演劇入門

問題0704:マーケティングにおける表現は演劇的であるべきか、説明的であるべきか?



「伝えたいことは何一つ無いが、表現したいことは山ほどある」平田オリザが、表現の場としての演劇の構造作りを明かす本です。「演技と演出」の前編のような位置づけで、戯曲を書くことについて紙面の大半が割かれています。



我々マーケティングの仕事には「どのように表現すればよいか?」という問題が付きまといますので、「演技と演出」とあわせ、平田オリザの話はとても参考になります。



場面の設定:

セミパブリックな空間を作る。(他者を介在させることで、リアリティを損なわずに、観客に情報を与えていく)



問題を設定する:

作品冒頭での自然な形での問題(運命)提起を行う。(ロミオとジュリエットは、二人が冒頭で出会ってしまったというのが最大の問題で、後はその問題を中心とした登場人物たちの右往左往が描かれている)



登場人物とプロットを設定する:

内・外の人物を設定し、人の出入りとそれによってもたらされる情報の内容を設定する。



エピソードを考える:

説明的な会話にならないように、伝えたい内容から出来るだけ離れ、かつ全体のモチーフや状況から離れすぎないように注意する。



台詞を考える:

古今東西の名作と言われる戯曲は、多様な「話し言葉」がバランスよく配置されている。シェークスピアがその典型で、演説から対話、会話、叫び、独り言など多種多様な話し言葉が配置されている。特に、「会話(Conversation)」と「対話(Dialoge)」を分けて考えることが重要。演劇で物事の進行を観客に伝えるには、絶対的な他者を登場させて、「対話」を行わせることが必要。(小津の「東京物語」で、空気枕を探す「会話」から、外で近所の人に会った時の「これから東京に行くんです」という「対話」が配置されている例など)



ちなみに、ここの「会話」と「対話」に関する平田オリザの分析は面白いです。894年の遣唐使廃止までさかのぼり、他者との対話がなかった日本の言語と文化では「対話」を成立させることが難しい、と指摘し、また夏目漱石(特に三四郎)が近代において際立っているのは「対話」を書いたからだ、と指摘します。



最後にコンテクストのすり合わせの話があり、本は冒頭のリアリティとは、という問題提起に帰っていきます。



マーケティングにおける表現は「顧客は暇じゃないんだから(社会が情報過多である)、必要な情報を効率よく説明することが重要」という観点と、「説明的過ぎる表現が顧客に好まれるとは思わない」という観点の間を行ったり来たりしています。どちらの観点がより有効であるかは、状況依存的なわけですが、個人的にはマーケティングにおける表現は、「端的な演劇表現であるべき」と考えます。



結局のところ、企業活動は「売りたい」という意図の下にマーケティングを行い、その意図を顧客に隠すことは出来ません。とすると、いかにその意図が「自然に顧客に伝わるか」がとても大切になります。誰だって、不自然な「売りたい意図」に対しては懐疑的になるからです。



平田オリザは冒頭で「リアリティのある演劇とは?」という話をし、例として高校生の演劇などで見られる「「あ〜、美術館はいいな〜」と美術館で発せられる台詞」を駄目な例としてあげています。これをマーケティング上の表現に置き換えると、「あ〜、この商品はお勧めだな〜」と広告上で発せられる台詞、ということになるわけですが、これはその商品のリアリティを損なう可能性があるのかもしれません。





回答:端的な演劇表現であるべき