[]社会学を学ぶ(2005)

社会学を学ぶ


昨日、アップしたはずの書評が消えてしまった。。しょうがないのでもう一回書きますか。



裏表紙に前回読んだ日時が残っていて、2005年5月4日となっていました。3年も前、、とは信じがたいのですが、久しぶりの読書。



「社会がどうなっているのか」ということにはあまり興味が無い(無いわけでは無い)のですが、「社会がどうなるのか」はとても知りたい。そんなわけで、門外漢なのですが、ヒラメキを求めて社会学の本を読みます。



いま読んでいるブルデューが終わった後(これはこれで面白いんですが)の的を絞るべくちょっと内田さんの助けを借りようかと。



仕事がら、「物象化/物神化」の話→ボードリヤール、と来て「消費社会の神話と構造」を前に読んだんだけど、恥ずかしながらあんまり記憶に残ってないんですな。そういや、時代はもうちっと遡るけど「有閑階級の理論」とかも読み散らかしたままになってる。。



ま、いずれにしても、新しく挑戦しようかな、と思ったのはフーコーの「言葉と物」。ある言説についてそれを語った主体の意図を探るのではなく系譜学的に出生の様態を探る、というアプローチが引っかかりました。そういえば、レヴィ・ストロースは空間的で、フーコーは歴史的(レヴィ・ストロースが引っ込めた歴史をフーコーが引っ張り出した)って橋爪さんが言ってたな。。



それから、ベンヤミン。学生の時は一度も読んでいないけれど、過去とのつながりの中での現在、つまり「歴史の現在」を読み解く思考に強い興味を持ちました。「パサージュ論」「アレゴリー」「アウラ」といった概念の響きにヒラメキの予感を感じます。



あとは、やっぱりレヴィ・ストロースをもうちょっときちんと読み直そうかなと思いましたね。大枠での構造主義とは、、というところはなんとなく理解したつもりでいたんだけれど、当然のように理解が浅かった。ヤコブソンの音韻論から影響を受けていることは知っていましたが、形態素/音素、と分けた時の、それ自身では意味を持たない「音素」が何か無意識的な規則に従っている、という不気味さを浮き彫りにしたのが構造主義、という記述に、ああ、そうだったな、と今更ながら納得しました。「野生の思考」をもう一回読むか。。。