[]夢判断(上巻)フロイト

夢判断上巻

半分(上巻)読んで思いましたが、読み方によっては今でもとても面白い本なのではないでしょうか?



一般的なフロイトの理論に対する評価って、「実験データなどによる反論による理論修復の機会を与えず、性的な解釈に偏りすぎ」というところかと思いますが、そういう要素を括弧でくくって読むと結構楽しめます。



フロイトによれば、夢は願望充足なんだそうで、前日(直近)の経験を材料として人の願望を夢の中でかなえているんだそうです。それが本当かどうかは自分には判断できませんし、実例として挙げられている夢の例とその分析を読んでも、それが科学的に正であるかどうかは解りません。



だから、ここは括弧に入れる。



すると、「仮に夢は願望充足で前日の経験を材料としている」としたら、昨日観たあの夢はなんだったのかという解釈が進むことになるわけです。もちろん、根底が仮定で出来ているので、その推論はとても弱いものだけれど、可能性のある解釈のパターンがひとつ増える、という意味では確実にプラスだと思います。





ひとつ面白い話がありました。





自分のとてもよく観る夢にこんなのがあります。もう、何年にも渡って、何回も見続けている夢です。



(夢の内容)

大学を卒業した後に、何かやり残したことがあって高校に再入学します。周りは当然10代で自分だけ20代なんだけど、童顔と言われるせいか、何の問題も無く高校生活を送っています。



このやり残したことっていうのもなんとなく検討がついていて、多分数学のこと。(高校で数学の勉強の仕方間違えたかな、という感覚がある)



ところが、高2から高3になる時か、高3から卒業するときか(この辺、記憶が曖昧)、にテストで赤点を取る危機に襲われます。明後日、試験なのに、まだ予習・復習が教科書1冊分くらい残っている、という状況です。



ここで、赤点を取りそうな自分に愕然とし、赤点→落第、となった場合のリスクがフラッシュバックのように頭をめぐります。(夢の中の自分の頭の中でフラッシュバックが起こる、という奇妙な状態)



ただ、毎回ここで、「ああ、そうだ、自分は一回大学卒業したんだから、今回高校卒業できなくても良いんだ」とか、「ああ、そうだ、自分は大学院に入ったんだから、今更高校関係ないんだ」とか「ああ、そうだ、自分はもう会社員で給料貰ってるから飢え死ぬことはないわ」とか思って安心して目が覚めます。





(分析)

この夢、ずーっと、高校時代の忘れ物が無意識の中に抑圧されていて、それが夢で意識下に出てきているんのだと思っていました。



しかし、フロイトによれば、これも「願望充足」だということ。



つまり、日常でプレッシャーがかかる仕事などに直面している場合(失敗したら多くの人に批判される状況)、夢の中で、学生時代のテストなどの場面が出てくるそうです。しかも、この場合、必ず「最後には成功した(=受かった)」テストしか夢には出てこないそうで、失敗したテストを夢で見ることはほとんどないそうです。



つまり、昔も大変な場面があったが、最後は受かっただろ、という「願望充足」を夢の中でしているとのこと。





筒井康隆の「パプリカ」の中で、時田警部が、学生時代の映画制作を途中で逃げ出し、自分の分身のような存在だった「あいつ」を裏切ったことが無意識の中でひっかかり続けてたことがストーリーを通じて明らかになっていきます。(ちなみに、このシーンの組み立て方、天才的に上手いので、皆さん是非映画を観てください)





こういうとても複雑な無意識下の記憶もあれば、昨日のプレッシャーが繰り返し同じ夢を見させていることもある、と。





フロイトの分析はとてもシンプルに見えます。上の筒井康隆の世界観も含めて、僕らが「無意識」という言葉を聞いたときに想像する得体の知れない気味の悪い世界観が出来たのは、おそらく彼以降の人達の仕事に寄るのだと思います。



そういう意味で、多様な無意識観を学ぶ上で、やっぱりフロイトは色々なものを括弧に入れながらでも読んだほうが良いように思います。