[]「おたく」の精神史(大塚英志 2004)

otaku




なんだかんだで大塚英志の書物は何冊か読んでいるんですが、この本、面白いですね。



ま、ただちょっと、筆者のかつての仕事の経歴や出版界の事情などの史実的な説明の中に、社会を見通す話が紛れ込んでいるので、読み終わったあと「はて、何の話だったっけ?」となってしまいがちかもしれません。(こっちの経歴のほうは、これはこれで面白いですが)



それをまとめる意味で80年代という時代の区切りを用いているのかな、と思いますが、紛れ込んでいる社会を見通す視点は興味深いです。



主体の問題を色々な側面で繰り返し分析している感じでしょうか。



興味がある方は是非ご一読を。











以下は将来の自分のためのメモ。



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・消費能力の高低が新たな階層を生む



→高度経済成長の後、西武グループが提供してきたものに代表されるような、誰にでも手が届く豊かさが達成され、ある意味社会主義的社会に到達したかと思われたが、その先には「記号」の差異化によって自分と他者を差別化する社会が待っていた。



このくだりは、この間のヴェブレンとかボードリヤールとかブルデューとか、色んな人が似たようなことを言っているので新しさはないが、それを「新人類」と「おたく」の差異を語る文脈で持ち出しているのが面白い。



中国市場の今後とかを考えるときに使えるかも。





岡田有希子はなぜ自殺したのか



→女性性を忌避する女性と男性側から生じたシミュレーショニズム(こんな英語表現あるのか?)的欲望が交差したところで誕生したのが「アイドル」だったが、本人達は生身の人間であった為に、作られた自己像とのギャップに直面し自己崩壊。





・物語消費



→この概念自体は、ビックリマンチョコの「噂」メモ、に見て取れるような背後に存在する物語を意識させることで商品を売る、という話。個人的には、角川歴彦の商品に対する考えのくだりが興味深い。商品は一つ一つの作品なのではなく、その後ろに存在する世界観なのだ、という考え方。(ファイブスター物語の年表、など)ただし、これはマーケットとして「おたく」を想定している。 





・UWFとはなんだったのか



→プロレス団体の興隆を「リアリティの再構築」から分析して見せる。80年代的な記号消費が90年代に入って形を変えている背景に、それでもやっぱり人は「これは虚構だ」とわかっているものしかない社会では生きづらい、という真理があるらしい。



もしくは、総合格闘技とWWEと「リアリティ」と「パロディ」が両立しているところを見ると、この二つの間を行ったり来たりしているのが人間社会なのかも。





エヴァンゲリオンとはなんだったのか



→主体として独立した存在になる(一人前になる、とか、大人になるとか)ということは、すでに成立しない概念なのだ、ということを徹底してみせた作品。観ていて腹が立つほどエヴァに乗ること(主体たること)を拒否するシンジ。自他の境界が消えたユートピアに行くことも拒否し、アスカの首を絞めて「気持ち悪い」と言われて終わる。