[]仮面の告白 (三島由紀夫)

仮面




2009年の現代のタイミングで読むにはどう扱えば良い類の小説なのか、ちと悩みながら読みました。



冒頭でカラマーゾフの兄弟の「熱烈なる心の懺悔」の詩が引用されています。本を読み終わった後にもう一度詩を読むと、この詩が冒頭に持ってこられている理由がなんとなくわかるのですが、この詩が提起しているテーマは正直、かって持っていたような引き裂かれ感を失っているように思います。





「理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見える」





これ、小説の中で告白される同性愛的な性癖のこと、と単純に考えます。三島がこの小説を書いた時から60年後の今日では「理性の目で汚辱と見える」という前半部分が成立しにくくなっていて、どちらかと言うと「感情の目には立派な美と見える」の部分が主流の感性になっています。



だからこの小説は社会的なテーマを含んだ小説としてではなくて、半世紀以上前の青年の心の葛藤を丁寧に独白調に書いた感性的な小説として読むことになるのですが、やはり社会的な意味合いが60年経って削られてしまっている分、響きにくいように思います。



三島の小説は、個人的には響くものと響かないものがはっきり分かれていて、このムラは一体どういうわけなのか、と非常に不思議に思います。今のところ、「金閣寺」と今読み始めている「春の雪」はかなり刺さっていますが、「潮騒」と「仮面の告白」はあまり刺さっていません。



そもそも晩年の政治的な活動と彼が残していった作品が本人の頭と心の中でどのように連結しているのか、非常に不思議です。



面白い人です。