[]この国はどうなってしまうのか、と感じざるを得ない


多くの人がこう感じているんでしょうし、だからこその今回の選挙結果なんだと思います。(って言って、これを書いている段階でまだ最終結果は見ていませんが、体勢は予想通り民主が負けということになるんでしょう)

それにしても、僕らは一体この国をどうしたいんでしょうかね?

政治家はこの国をどうするつもりなのか、じゃなくて、僕らは一体この国にどうあってほしいのか。その国民的なコンセンサスが取れていないことが今の最大の問題なんだと思います。各党とも「強い経済」と言っていますが、実は大半の人はそのフレーズには共感をしていないんじゃないか、と思います。

多くの人が欲しているのは、社会がSustainableなことであって、決してこの先も伸びていく「強さ」ではないと思うのです。 そして、Sustainableな社会を作るためには賢さが必要だというところまでは、なんとなくみんな判っていて、だけどその賢さというものが具体的にどういうものなのか判らないので、一様に不安がっている、というのが今の状態だと思います。

もうちょっと根本的なところで、国の大きな舵取りのコンセンサスを作ったほうが良いと思うんです。

そこで出てくるのがやはり地方分権の話。そもそも、江戸時代には各藩は独立した存在だったのに、なぜ現代は日本国というくくりになっているのか、その経緯を考えて、将来はどうあるべきなのかのコンセンサスを取ったほうが良いと思います。

するときっと、国民国家の役割はすくなくとも日本では終わったのではないか、という結論が出てくると思うのです。昔、なだいなだの「民族という名の宗教」という本の中に国民国家の役割は市場と労働力を作り出すこと、と言う話があったと記憶しています。1億3千万という人口は割と多い方だったので、20世紀には国民国家の仕組みがうまく機能しました。

だけど、今のような行き詰っている状況では、単一でまとまって何かをするほうがリスクのヘッジが効かず危険です。分散して様々なアイデアを試し、何がうまくいくのかを試す必要があると思うのです。ガラパゴスでも良いんだけど、どの遺伝子が生き残るのか、多様なテストが必要でしょう。

財政再建は一刻の猶予も無いので、解決策は話し合わなければなりませんが、それを乗り越えた後にどのような国を作りたいのか。中央政府は起死回生の策を提示する必要は無いのかもしれません。

歴史の流れの中で、国の現状をどう位置づけ、将来どのような社会にしていくのか、「賢い」見通しを議論する。そのコンセンサスを作れなかった民主党が負けるのは仕方のないことだったのだろうと思います。

どのような国を作るのか、僕はもう答えは出ていると思うんですけどね。