[]どうして韓国の映画は繰り返し繰り返し「親子の関係」を描くのか 「公共の敵(2002)」

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どうして韓国の映画は繰り返し繰り返し「親子の関係」を描くのか



って、僕が見ている韓国映画が偏っているのかも知れませんが、こんな刑事ドラマみたいな映画の中心にも、やっぱり「親子の関係」がテーマとしてあるんですね。最近観た中では「母なる証明」は思いっきり親子のテーマでしたが、韓国映画ってこの「親子」のテーマが多い気がします。



息子の影の部分に対する母親の無制限の愛を描いているのですが、無制限さの表現がめちゃめちゃえぐい。





(この先ネタバレ注意)





親殺しが事件の発端なのですが、息子は両親を刺殺するときにナイフで親指の爪を剥いでしまうんですね。それが現場に証拠として落ちてしまうんだけど、母親は死に絶える直前にその息子の爪を飲み込んで絶命します。父親(夫)を殺し、自分を殺した息子を、それでも庇おうとするわけです。



結局はそれが発見されて、主人公の刑事とほとんど殺し合いの決闘をすることになるのですが、こういう場面設定は驚異的だなと思います。



このテーマを描かなければならない理由が韓国の社会には何かあるんでしょうか。それが何なのか、僕にはよくわかりませんが、とても興味がある。このテーマ、個人的に妙に刺さるんですね。 なんでだろ。人と人との絆を突き詰めていくと、なにやらとても大事なものが見えるようになって、それを韓国映画が執拗に執拗に描き切ろうとしているからでしょうか。



なんだか判らないけど、日本人としての自分が答えを探しているものの答えのヒントがあるような気がしてなりません。