[]どうしてFacebookが必要なのかがわかった(「安心社会から信頼社会へ」山岸俊男)

安心社会から




社会的不確実性が高い社会で、人はどのような行動を取るのか、というメカニズムの解明を試みた本。



「日本人よりもアメリカ人の方が人を信頼する」とか、「人を信頼する人は必ずしもお人よしではない」というような常識にちょっと反する発見が面白いのですが、個人にとって重要な示唆は違うところにあるんだろうと思います。



つまり、「これからは自分の情報を社会に対してディスクローズしたほうが得」ということだと思うんですよね、この本から得られる示唆って。 



よく知らない人のことは信頼しない、というごくごく当たり前の話に起因しているんですが、このメカニズムをよく意識して行動しないと、これからの時代生きていくのが大変になりそうです。



日本の場合、会社集団とか学校集団とか、集団に属して初めて個人が信頼される、という時代が長く続きました。なので、信頼される人になるためには信頼されている集団に属することが合理的な行動だったんだろうと思います。



ところが、その前提の集団主義が怪しくなってきています。会社の終身雇用が怪しいので、この先所属する集団を変える必要に迫られるかもしれない。都市部では地域のつながりは皆無だし、地方は経済がぼろぼろなので、そもそもそこに住み続けられるのかどうかが怪しい。



そのため、個人はどう行動すると得なのか、というゲームのルールが変わりそうです。



集団主義の前提が崩れると、信頼を築くリテラシーの低い個人が取り残されるんだと思います。集団に属する努力以外のスキルを身につけてない人が大半なので、いきなり集団の梯子を外されると、後はもう落下するしかないですよね。



だけど、これ、実はそんなに面倒な問題ではないはずだと思います。根本的なルールは「不確実性が高い(=よく知らない)」人は信頼しない、ということなので、信頼されるためには自分が何者なのかを積極的に公開すれば良いんだと思います。



どういう考え方をしていて、何を思っていて、何をしてきたのか、をディスクローズしていけば、その人が信頼に足るかどうかは判ります。



このやり方、多くの日本人は慣れていないので、もしかしたらしばらくは不信感の塊みたいな社会になっちゃうのかもしれませんが、徐々に徐々に変わっていくんだろうと思います。



MixiFacebookっていうのは、個人をディスクローズするツールなので、この先うまく使う人が増えていくんだろうな、と思います。