[]個人の自立は感染する「百万円と苦虫女」

no title




ちょっと甘酸っぱい終わり方をするこの映画、結局何を言いたかったのでしょうか?



僕は、「個人の自立は感染する」ということが言いたかったのだと思いました。



一応、簡単なストーリーはこんな感じ。



ひょんなことから刑事告訴され、20代早々にして「前科者」となってしまった鈴子は、家を出て住む場所を転々とします。ある場所から次の場所に引っ越す時のルールは「100万円溜まったら出て行きます」というもの。 最初は海の家、次は桃農家、そして地方都市のホームセンター。このホームセンターで、鈴子は大学生の中島亮平と出会い、付き合うようになるのですが、100万円溜まる時は刻一刻と近付いて来て、、、、、、



映画の中では、鈴子の他に4人の男子がクローズアップされます。



で、この4人が揃いも揃ってだらしない。



「自分から逃げてるんです」と言うものの、自分の意思で街から街を転々とし、逞しく100万円を貯めていく鈴子の自立した様子と4人の男子のだらしなさが非常に対照的です。



ただ、鈴子の自立心は、感染を引き起こします。具体的には、いじめから逃げて中学受験を目指していた弟は、一人でいじめに立ち向かう決意をし、桃農家の長男の藤井春夫は、農家は頭を使って生き残る方法を考えるべきだ、と主張します。



さらに、この弟の決意は、ブーメランのように鈴子に帰って来て、鈴子は「次の街では自分の足で立って逃げずに生きていこう」と決意するに至ります。



「個人の自立は感染する」その連鎖こそが「成長」ということなんだ、というメッセージを僕は受け取りました。