[]もはや「一隅を照らす姿勢」しかありえない(「愚民社会」大塚英志×宮台真司)

20111206193108




刺激的なタイトル。



この気持ちはホント良くわかる。民主党になって、「ありたい国の姿」×「それを実現する政策」が政治の中心になるのかと思ったけど、政局中心の政治に変化は無いし、官僚主体の政治にも変化はなさそうだし、そもそもの民主党の「ありたい国の姿」っていうのにまったく共感できない。



けど、もとを正せば、そういう政治システムをのさばらせているのは選挙民の目が節穴だからなわけで、やっぱりそもそもの問題の根源は自分を含めた日本人の民度の問題なんだろうと思ってしまうわけです。



愚民、もしくは大塚さんは「土人」という言い方をしますが、日本人には良くわからない大きなものに依存する体質がありますね。基本的に「お任せ」体質。大切なことを考えることを放棄してお任せしてしまっているので、、



・何が理想なのかを考えない

・理想と照らし合わせて現在の自分たちは正しいことをしているのか考えない

・将来を考えない

・場の「空気」に支配される

・「ええじゃないか」的なものによって、状況がすぐにリセットされる



まず、本で語られるのはそういう状況に対する絶望感。



とはいえ、そういう社会であることを前提にしてドラスティックな改革を諦めたうえで、それでも本の中では3つの改革の方向性が示されます



1.少なくともエリートは土人から脱する。その上で、エリートが「良いことをすると儲かる」ようなインセンティブの制度設計を行うという前衛思想

2.大きなものに依存できない「顔の見える」範囲のコミュニティに政治単位を分割する

3.教育と表現を通じた改革を行う



宮台さんの最近の言動を見ると、1と2の間で相当揺れ動いているように見えます。昔はもっと明確に1の立場を取っていたように思いますが、最近、特に311の後は、2の話が増えてきました。



昔と違って「故郷に錦を飾る」タイプのエリート輩出システムが無くなった為、1の有効性がかなり怪しいことと、ヨーロッパのコミュニティ化運動と311での個人的な経験が影響しているように見えます。



大塚さんは2と3の立場の間くらいでしょうか。



東北の地震「くらいで」日本が変わるわけが無い、とはっきり言い切った上で、それでもあるべき教育の理念とそのカリキュラム構築に心血を注いでいます。日本全体をどうにかしようとは思っていないようですが、少なくとも私塾に通う次世代の人々は徹底的に鍛えなおそうとしているように見受けられます。 「一隅を照らす」的な立場でしょうか。



僕個人としては、お二人どちらの考え方もありだと思います。制度設計によってインセンティブを誘導することで、社会は大きく変わりえる、というのは論理として正しいと思う。と同時に、社会福祉少子化、食料、エネルギー、と目の前にあって将来的に深刻度合いが増していく問題を見ると、効率よく助け合うコミュニティのスタイルが無いと到底先々やっていけるようには思えない。さらに、結局、この社会は教育の改革無しにまともな社会になるとは思えない。



問題はあまりにも大きく、一気に変えようとしても「愚民」の壁に阻まれる。だから、自らと自らの手の届く範囲でまずは変化を起こそうともがく。



全体に対しては責任は持てないけれど、狭い範囲に対しては絶対の責任を取る。そういうスタンスが重要なんだと思います。昔、「イギリスでは雪が降ると、自分の家の前の雪かきだけは完璧に行う」という話を聞きました。実際にイギリスに住んで、この話は昔の日本人の幻想に過ぎないということがわかりましたが、「すべての人が自分の家の前を完璧に雪かきすれば町全体が雪かきされる」という逸話として紹介されていました。



「一隅を照らす」的な発想ですが、そういう気持ちの持ち方なんだと思いますね。