[]今回も気づき豊富だったポンピドゥセンター
ロンドンで第9を聴いて、翌日の始発でパリへ。
まずは、最もいきたかったポンピドゥ・センターへ。朝一番にも関わらず結構な行列になっていました。年末のパリってこんなに混むんだっけ???
今やっている企画展はメインのものがムンクでこっちは本当にすごい行列。ムンクはノルウェーのムンク美術館で相当集中して観たし、事前情報でこっちの企画展はいまいちという話を聞いていたのでパス。時間があれば寄りたかったけど、なにせトータルでパリに滞在できる時間が9時間しかないので今回は断念。
代わりに行ったのが、「ダンス」のもの。こっちの企画展もいまいちという話を聞いていたんだけど、これは僕には色々と気づきをもたらしてくれました。
「ダンス」と言っても、色々なビデオもあれば、彫刻、絵画、と様々な展示品。
で、大きな気付きとしてあったのが、「動きというのはモジュールの連続で表現される」ということ。
例えば、上の絵も「ダンス」に属するわけです。ポリゴンというか、ブロックのような部分をどう連結させるかで、それがダンスをしているように見せる、という考え方。
この考え方を突き詰めていくと↓こういうものもダンスになるわけです。
そう考えていくと、僕がこれまで観てきた芸術作品の中には、結構な量の「動きを表現した静止作品」というものがあったんだろうな、というのがちょっとした気付き。モンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」なんかは確かにNYの交差点の騒がしい動きを彷彿とさせる作品だったりするわけです。
さらに、そこから今一歩の気付きとして、結局、芸術家の表現技法の巧拙は、この「モジュールを無数に組み合わせていく」技術の高さから来ているのだろうということ。どういうモジュールを定義して、それらをコンボのように組み合わせていく、やり方のうまさに、観客側の感動のポイントがあるんだろうということを感じました。
そんでもって、これって芸術に限らず、僕らの仕事でも同じことが言えるよなあと思うわけです。一つの事実を指摘するだけであれば、それは事実に過ぎないわけだけど、それを組み合わせることで幾パターンものストーリーができていく。その組み合わせの仕方によって、ストーリーはすばらしいものにもなるし陳腐なものにもなる。
日常の視点で芸術を鑑賞するっていうことは、きっとこういう知性のやり取りのことを言うんだろうと思います。
もう一つ、今回のポンピドゥでの気付き。
写真はないんだけど、常設展で、ループ上になった紐が扇風機にあおられてフローティングしている展示物がありました。この展示、通りかかったほとんどの人が一旦足を止めて眺めていました。
ここで人が足を止める理由は明確で、「不思議だから」。なぜ、これが不思議と思うかというと、「物体は落下するもの」という常識に反しているから。
「芸術ってモジュールの組み合わせをどう作るかが重要なのでは」という気付きとは別に、これもきっと芸術にとって重要なポイントなんだろうと思うわけです。つまり、その時代・その社会・その環境での「当たり前」に敢えて挑戦してみる、という立場の取り方。
観ている者の根幹に揺さぶりをかける、というか、そういうスタンスを持った作品は人の心に刺さるんだろうな、と思います。そんでもって、これも芸術家にとどまらず普通の人の日常生活でも言える事。逆らうかどうかは別として、何がいま自分が生きている環境の「常識」なのかを常に意識することは大切なんだろうと思うわけです。
そんなこんなで、2時間くらいしか滞在できませんでしたが、やっぱり今回もポンピドゥセンターは色々と気付きをもたらしてくれました。定期的にここに来るのは本当に価値があります。