[]行き着くところは人と文化の話(山本七平「日本はなぜ敗れるのか」)

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旧日本軍の敗戦の研究に関しては、「失敗の本質」が有名ですが、山本七平のこちらの本も面白いです。



「生死の極限状態になると、敵軍を食い、友軍を食い、終いには戦友を食うようになる」とか、「日本軍は一切の対日協力者を、その生命も保証せず放り出した」とか、目を覆いたくなるような敗戦の前線の状況が生生しくかかれています。



同じ過ちを繰り返さないために、歴史から教訓を学ぶことが人間の知恵だと思うのですが、残念ながら日本人は何度も何度も同じパターンで失敗をしています。



そもそも、山本が言うには、第二次大戦の負け方は西南戦争における西郷隆盛の負け方に酷似しており、この時の負けの原因をきちんと分析して教訓として残しておけば、あのような負け方にはならなかったのではないかと言います。



すなわち、



・「虚数」を「実数」として扱う、現実把握力の弱さ

・戦いの前提が変われば戦い方は変わる、という構造を理解しない認識力の弱さ

・補給の軽視



というような負け戦のパターンは、西南戦争時と第二次世界大戦時でまったく変わらないというのです。



山本はこういう第二次大戦時の負け方のパターンは戦後もそのまま踏襲されていると言います。



例えば、山本が例として挙げているのは労働組合の例。どう見ても数万人くらいしか参加者が居ない春闘の動員数を30万人と発表し、「30万人動員するといったのだから、現実はどうあれ参加者は30万人なんですよ!」と労働組合幹部が言ってしまうような現象。「虚数」を「実数」として扱い、虚数を実数たらしめるために、現状認識を捻じ曲げていくという話です。



これ、現代の会社の中でも散見されますよね。



どう考えても達成不能な販売計画を作り、それを達成するための投資もせず、「いや、今年はこれだけやらないと駄目なんです!」といって玉砕していく事業計画。



さらにたちが悪いのは、無理な目標を無理やり達成するために、本来長期の戦略に使うべき原資を短期の売上インセンティブに使ってしまう、など先々の寿命を削って今を生きようとすることが日常茶飯事になっています。自分の尻尾を食べる蛇じゃないですが、「敵を食い、友軍を食い、終いには戦友を食う」ようで非常に気味が悪い。



山本は、こうした敗戦に見られる日本人の思考パターンがどうして生まれるのか。そういう風に考えることを強要する「力」は何なのかと問います。



そして、結論としては、日本人には(思考の)自由が無い、ということに落ち着きます。感じたことを自由に表現し、自由に議論する文化を持たないことが、現実を見ず、容易に「虚」を信じてしまう原因とのこと。



おそらく、組織や社会の中で、自由に考えることができない人が多数を占めるようになったとき、日本のいつもの失敗のパターンが現れるのだろうと思います。そういう意味で、誰と組むのか、誰を仲間とするのか、どのように教育を行っていくのか、そういった人の問題がやはり社会の中心問題なんだろうと思いますね。