[]小津の描く「会話」の特徴(小津安二郎「晩春」)

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秋刀魚の味」より10年以上前の小津安二郎の作品ですが、テーマは同じ。



妻無き後、娘を嫁に出す父親の心象



2作とも、「つい便利に使ってしまっていた」娘を身を切る思いで嫁に出し、その喪失感を父親が味わうところで映画が終わります。



一見、寂しい話に見えるのですが、観ている方としてはエンディングの後に続いていく、それでも平和な日常を予見してしまいます。きっと、この父親の喪失感は別な形で補完されていくんだろう。そんな風に思います。



そう思わせる理由は、映画の中でただひたすらに描かれていく「日常会話」のあり方にあります。小津の映画は、非常にゆったりと時が流れていく印象があるのですが、その大きな要因が独特の日常会話の描き方。



 父「お前、それ持ってきたのかい?」

 娘「ええ、もって来ましたわ」

 父「そうかい、持ってきたのかい」

 娘「ええ、ここにありますわ」

 父「そうかい。。」



小津の映画の台詞は、上のように「相手の発話を鸚鵡返しのように繰り返す」ところに特徴があるように思います。



内容は他愛も無いんですが、相手の発話を確認しあう中に、なんだかわからない信頼関係というか、親密さを見てしまうんです。 



  私はあなたの話を聞いている。

  私もあなたの話を聞いている。



会話の中身はどうでも良くて、相手との関係性をお互いに確認しあう作業をしている、というのが小津の映画を観ていて感じることです。



この関係性が、すべての登場人物の間に見て取れるので、娘を嫁に出したとしても、父親は肉親や親しい人との関係性の中できっと補完されていくんだろう。そんなことを思います。



こういう世界観ってすごく良い。小津の映画を折に触れて観たくなる理由は、この「会話」から垣間見れる人間関係の心地よさにあるように思います。