[]ある子供

ある子供

仕事初めの初日だったので、緊急度の高い仕事を2つばかり終わらせ、18時には帰宅。 どーも、仕事のギアが上手く入らない。モチベーションが上手くあがらないわけです。



と言うわけで、会社を出て、その足で恵比寿ガーデンシネマへ向かい「ある子供」を観ました。2005年のカンヌのパルム・ドール受賞作なのですが、賛否両論の飛び交う映画です。





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「ある子供」





この映画は最初っから最後まで、非常にイラつきますね。 あのエンディングを観終わった後、良い気分になれる人はすごいです。達観しています。仙人の域に達しているんではないでしょうか。(ちなみに僕は無理でした)



そういう意味では脚本・演出・演技は、映画の伝えようとすることをストレートに伝えていると思います。





とにかく観客としては「イラつき」ます。





題名の「ある子供」は、ブリュノとソニアの息子(ジミー)のことなのか、それとも親である2人のことなのか、というのがポイントのようです。 定職につく気が無く、引ったくりでその日暮らしをしているブリュノと、そんなブリュノと無邪気にじゃれて遊ぶソニアの2人の若者が子供を作るとどうなるか。





一見、「子供が子供を作る」という主題のように見えますが、違うんじゃないか?というのが感想です。





まず、ブリュノは子供ではないと思います。 子供は好き・嫌いがはっきりしています。好きなものがあれば笑うし、嫌いなものがあれば泣きます。これは本能的な反応であって、自分の生命を脅かすものに対しては嫌悪し、自分の生命を守るものに対しては好意を示します。



それに対し、ブリュノは「好き・嫌い」がよくわかりません。極端に好きなものは無さそうだし、極端に嫌いなものも無さそう。



途中、天才的な演出でイライラさせられたシーンがいくつかあります。



ひとつは、ブリュノが人身売買のバイヤーからの電話を待つ間、泥だらけになったスニーカーで壁に足跡をつけるシーン。もうひとつは、ひったくりの子分が来る間、池の水面を鉄棒で引っ掻き回すシーンです。





無意味





無意味としか言い様の無い行動で、このシーンが端的に示す「無意味感」がブリュノの行動全体を覆っています。子供の行動には「学習し、成長し、生きていこうとする目的」がはっきりと見えますが、ブリュノの行動にはそれが見えません。





「現代フランス(ベルギー?)」の「存在と無」チックな側面を記述した作品かと思われますが、見た後に怒りがこみ上げてくるため、なんらかの政治的なアクションの想起を狙った作品なのか?と思わずには居られない要素があります。





万人にオススメできる映画ではありませんが、考え込みたい方はぜひ。