「質問する力」大前研一 (2005)

質問する力

謙遜を美徳とする日本人の感覚のせいか、大前さんの本は持論の自慢に見えてしまうのですが、それでもやはりこの人は頭が良いと納得せざるを得ません。



難しい局面を打開するためには正しい問いを設定することが不可欠です。日頃の仕事の中でも、トップから落ちてくる課題は「売り上げを拡大するにはどうすればよいか?」といった大方針でしかないのですが、その課題を咀嚼せずに、セールスに対して「売り上げを拡大せよ」と言うだけでは仕事になりません。



売り上げを構成する要素を分解し、「レンジングのカバー率があがらないのはどうしてか?」とか、「セールスの店舗カバー率が悪いのはどうしてか?」と言ったより具体的な問いを立て、徹底的にリサーチをして改善策を作っていく必要があります。もしかしたら、当初の問いの「売り上げを拡大すべき、と言うが、それはなぜか?」を疑う必要があるのかもしれません。





この本は題名を読んで勘違いしがちですが、質問力を鍛えるためのノウハウ本ではありません。そうではなくて、1985年の3つの契機(ゴルバチョフプラザ合意、ウィンドウズの登場)から変化した情報社会に対し、日本の国策がまったくミートしていないということを、数々の素朴な「質問」をベースに明らかにしていく本です。



アメリカに対する「貢君システム」、国策の失敗が個人へ押し付けられるシステム(公的資金の注入、国債による公共事業システム、郵貯)、「なぜ?」を問わないことによる基本的な政策の失敗(郵政・道路公団の民営化(民営化ではなくて解散が望ましい)、北朝鮮との国交正常化(北朝鮮政権を延命させるあらゆる政策はNG))などが書かれています。



いずれも、元の質問は素朴ですが(例:「道路公団を民営化させるとどうなるか?」)、そこからファクトを元に引き出される帰結が極めてシンプルなロジックで導き出されています。



後半は日本の教育システムに話が及び、日本人の質問する力が育たない原因について大前さんの持論が展開されています。





思えば、日本という国で育った日本人は、グローバルコミュニケーションでは大変なハンディを負っています。そもそも、極東(「極」ですからね、なんてったって)の方言である日本語というローカル言語で生活が成り立つため、語学能力に乏しく、「阿吽の呼吸」「謙遜すること」を美徳とするため、学校でも会社でも、「根回し」というこれまたローカルなコミュニケーションスタイルを得意とします。(ただし、「根回し」は中国も含めた東アジア共通のコミュニケーションスタイルのように思うので、まんざら不要というわけでもないように思いますが。。。)



議論をすると喧嘩になりやすいので、因果関係を厳密にしたり、論拠を証拠として明確に示すコミュニケーションが避けられます。



こういう社会に住みつつ、かつグローバルを意識したキャリアを築こうと思ったら、逆説的ですが「ホンネとタテマエ」を自分のなかで明確に区別して持っていくことが必要だと思います。ホンネはとことん論理的に作り、ただしそれは日本人同士のコミュニケーションの中では出し様を考えてタテマエを述べる。最終的にはホンネベースに物事が進むようにもって行く、という高度なコミュニケーション手法が必要でしょう。



老人の口癖みたいですが、「まったく大変な時代になったものです」