[]All About Lily Chou-chou (邦題「リリィ・シュシュのすべて」)

リリィ・シュシュ

疲れ目だろうか。



とても目が痛い。PCを直視するのが辛い。







***(ネタばれ注意)***









実は日本映画ということにまったく気づかずに買ったDVD。(台湾映画だと思ってた)なので、オープニングで日本語が出てきてびっくりしてしまった。



そんなんで良く買うなと我ながら思いますが、これは完全なジャケ買い。緑の田園の中でCDウォークマンを片手にたたずむ少年(市原隼人)にピンと来るものがあって買いました。



蓮見雄一(市原隼人)と星野修介(忍成修吾)という二人の14歳を中心に、いじめる側といじめられる側が入れ替わり、陰湿な個人攻撃へ執着し、一度いじめのターゲットが決まると全体がそれに追従する、という極めて残忍な社会の構図が描かれていきます。



程度の差こそあれ、日本の学校に普遍的に存在する問題の構造だと思います。僕の中学時代に極めて近いものがあります。(設定的にも剣道部だし) 



違う社会に属する立場でこの映画を観ると、「どうして?」「なぜ?」とやりきれなくなるシーンが多々あります。例えば、蓮見雄一が密かに思いを寄せている久野陽子を廃工場に連れて行き、その後一人号泣するシーン(久野陽子はここで星野達のグループにレイプされてしまう)などは、直視に耐えないし、シンプルに「なぜ?」そんな行動を取るのかという問いしか出てきません。





しかし、「なぜ?」という問いが出てくる背景に自分がもはやこの14歳の社会に属していないことがあることを理解しないと、ただの痛い映画で終わってしまいます。それはこの映画が描く14歳の心象風景を見えなくしてしまうことで、非常にもったいない。





蓮見雄一は、ここまでして「この」社会の中に留まらざるを得なかったのだと思います。夏の沖縄旅行の後に「この」社会を逸脱してしまった星野修介は、最終的には蓮見雄一に殺されるという形で命を落とします。



蓮見雄一と星野修介という二人のキャラクターは、リリィ・シュシュのファンとして「リリフィリア」というBBSで共鳴しますが、二人とも14歳の学校社会という単一の社会以外に所属する社会が無い、というところに共通した生き難さを抱えています。



同じ心象風景を共有する存在ですが、片方はその社会から「はみ出」ます。



ここで、ある社会から「はみ出る」ことが別の社会に移動する、ということに繋がらないことが問題の根本で、社会的な存在である人間は、社会への所属なくして生きられない、という根源的なテーマが星野修介の死で暗に示されます。



逆に、蓮見雄一は、久野陽子を犠牲にし、密かに思いを寄せられている津田詩織(蒼井優)を見殺しにしてまで「その」社会の中に踏みとどまったために命を永らえます。市原隼人が絶妙な中学生っぽさをかもし出し、苦悩する描写が続く為気づきにくいのですが、社会の中で生き抜こうとするしたたかな人間の本性が、14歳の社会の問題を解決しにくくしている陰にあることがうかがえます。





色々な解釈の仕方があると思いますが、名作だと思います。お勧めです。