[]手紙 (東野圭吾 2006)

手紙




**微妙にネタばれ注意**





アジア的な題材だと思います、って言ったら反論しますかね?



けど、自分にはそういう印象が残りました。仏教的でもあるし。



この話のテーマは「差別」だと思われるのですが、自分には「社会的紐帯」の方がテーマとして記憶に残りました。帯にも乗っていますが、兄の強盗殺人の汚名に苦しむ直貴に対して、彼の勤める会社の社長、平野はこう言い放ちます。





「差別はね、当然なんだよ」





そして、ここからの発言が非常に仏教的に聞こえるのです。つまり、自殺を含む殺人(=人を殺すという行為)は、ある個人が持つ社会的紐帯を断絶することを意味する。だから、直貴の兄の剛志は社会的な死を選んだということであるし、これによって肉親という強い紐帯で繋がっていた直貴に影響が出るのは当然である、と。



ストーリーの中で、直貴は何度も兄の汚名によって社会的紐帯を断絶されていきます。バンドのメンバー、恋人、職場、、、 これは、肉親という紐帯の張りが非常に強かった為で、ピンと張った糸を切れば大きな反動が出るように、当然の帰結と言えるのかもしれません。



この現象は物理的であり、個人の権利や正義といった観念は入り込む余地が無いのかもしれません。





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ついこの間、「色即是空」(般若心経)と書きましたが、実はこの言葉はこのテーマにちょっとかかわりがあります。



文字通りの意味は「この世のものは色であり、つなわち空である」ということですが、もうちょっと解釈すると、「この世の中のものは本質的にはひとつのものである」ということになります。(なんか、エヴァンゲリオンみたいだな。。)



人間にしろ、ものにしろ、この世のものは人の目には「色」に写ります。しかし、この「色」は未来永劫普遍のものではないし、昔は別の「色」をしていたはずです。よって、この「色」の中には実体は存在しないとされています。(=空)



また、例えば木という物質(=色)は水分や土の養分を吸って大きくなるように、「色」として存在するには色々なものと繋がっている必要があり、こうしたつながりは、この木が枯れて死んでも無くなることがありません。そして、このつながりによって、時間が経つと新しい存在(=色)が生まれてきます。(これが「空即是色」)



空というひとつに繋がった根源的な状態から色という様態がそのつどそのつど生まれている、というのがこの「色即是空・空疎是色」という言葉の意味だそうです。





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エンディングで、直貴は兄の剛志が服役する刑務所で慰問ライブに向かいます。そこで、「イマジン」のイントロを聞きながら「兄貴、俺達はどうして生まれてきたんだろうな。− 兄貴、俺達でも幸せになれる日が来るんだろうか。俺達が語り合える日が来るんだろうか。二人でお袋の栗をむいてやった時みたいに−。」と心の中でつぶやきます。



何処まで社会的な紐帯を断絶されたとしても、彼らはこの世の関係性の中で生きています。いつかは人生を終えることになるわけですが、見えない関係性の中で彼らは幸せに生きていくのだと思います。この本の最後のページをめくりながら、そんなことを考えていました。





テーマとしてもストーリー展開も非常に面白かったです。





感動しました。