[]風の谷のナウシカ

ナウシカ




映画を観たのが小学校3年生くらいでしょうか。祖母と保土ヶ谷公会堂に観に行った記憶があります。



それから20年経って、漫画版を読破しました。



噂では聞いていましたが、映画版のテイストと漫画版は大きく違います。大きく違うというか、ストーリーの主題がどんどん哲学的になっていくという感じでしょうか。ストーリーの中心となる腐海の如く、そのテーマも多岐に渡ります。



最初は環境と人間、なのですが、そこから全体対個、仏教とキリスト教、理性万能主義対感性と来て、クシャナの存在と立ち振る舞いにいたっては儒教的な君主論やら組織論さえ出てきます。



これは正直一筋縄ではいきません。



環境関連やら現代文明やら、はたまた戦争論やらにおいてさえ、引用され、批判の対象となるのは、内包するテーマの多様性によるのだと思います。





人間には神話が必要ですが、映画版は英雄伝のテイストが非常に強い。未来の神話とでも言いますか。



自らがどう生きれば良いのかを考える際に、もっとも強い影響力を与えるのは神話です。神話にはその時代、その集団に生きる人間の価値観が凝縮しています。



映画版のナウシカは、環境を破壊する現代人の後ろめたさを背景に、世界が終末に向かった時に人はどう生きれば良いのか、という神話の役割を果たしていました。



エンディングに近い場面で、王蟲の大群の暴走を体で止めた後、青き衣をまといその触手の金色の・・・という場面がありますが、これはほとんどナウシカを神格化しており、ストーリーそこで終わっています。



神話を聞いた観客は、ここで涙を流し、カタルシスを得て帰路についたことだと思います。多くの人は明確に「環境との共生を果たさねば。憎しみの連鎖を断ち切らねば」と感じたと思います。



実際に、こんな世界が現実になったら大変なことなのですが。。。(そして、本当に怖いのは、こういう世界が現実になりそうだ、というのが見えていること)





ところが漫画版のナウシカは、最終的に神格化されません。というより、極めて人間らしい決断を下して話は終わります。つまり、自分は何を美しいと思うか、自分は何をしたら快と思うか、という感性に基づいて判断を行い、自分達は生きたいのだ、という生存の欲求を前面に出して、シュワの墓地の主を倒します。



ちなみに、このシュワの墓地の主の思想と、さらに墓地の外にある庭に出てくる庭の主(ヒドラ)が語る計画は現代科学そのものです。人間の歴史は技術の進歩と共にありました。だから、そういう時代に生きる自分達には、シュワの墓地の主の語る計画と庭の主の説得が非常にリアリティを持って迫ってきます。



それに対してナウシカが出した答えは「否」です。



だから、多くの人はここで非常に混乱するはずです。それが現代人の普通の反応だと思います。そして路頭に迷うはずです。



「結局、我々はどう生きていけばいいんだ」、と。





実のところ、この問題に人間が直面するのはそう遠い未来では無いように思います。小学校の時に「石油採掘可能年数」みたいな現代社会を支えている資源の寿命が、なんとあと50年も無いことを学びました。 この間、久しぶりにこの手の資料を見たのですが、今でもやはり50年もありません。今年は西暦2008年ですが、次の2000年というのは存在するんでしょうか?



とてもそうは思えません。



社会はちっともSustainableには見えず、滅びに向かう社会でどう生きるのか、という問題を突きつけられる日はそんなに遠くは無いんではないかと思います。





賛否両論ある漫画版のナウシカですが、一読をお勧めします。