[]OASIS (2002)

img55422760




これはすごい。



社会不適応者と身体障害者の恋の行方、というかなり極端なストーリー設定なのですが、最終的に伝わってくるのは普通の韓国社会のありのままの姿です。



平田オリザが「演技と演出」という本の中で、「標準的な動作を繰り返しても、相手とのイメージの共有が出来るとは限らない。実は、特殊に見える動作を行ったほうが、逆にイメージの共有がしやすくなる。(略)演劇は、現実に近ければリアルになるとは限らない。観客とのイメージの共有が出来たときに、初めてリアルな世界が、観客の脳の中に立ち上がってくる」、ということを言っています。



まさに同じことかな、と感じました。



ストーリー自体にサプライズはあまり無いのですが(最後の木を切る場面をのぞいて)、登場人物の設定と演技が(二人とも)きわめて極端なので初めはかなり驚きます。しかし、最終的に納得感を持って伝わってくるのは、「社会の底が抜けていない」韓国的な包摂性であったりするわけです。



批評家によっては「社会的なアウトサイダーに対する韓国社会の残酷さ」がテーマだというようなことを言っている人も居ましたが、僕はそうは思わなかった。



そうでは無くて、まったく逆の普通の社会の包摂性を見事に演出しきった映画だと思います。家族の対応、警察の対応、牧師さん、道行く人、細かなところに普通の人々の普通の対応が描かれていて、それが最終的に社会を書き出す要素になっています。



非常に優れた映画だと思います。侯孝賢の「珈琲時光」を思い出しました。こういう監督に現代日本をテーマにして映画を撮ってもらったら一体どういう作品になるのだろうか、と思ったりします。