[]これは、「データベース消費」が日本だけに留まらない状況になっている、と理解するべきなのか?
これもTateの企画展で、POP Lifeというものです。
まー、異様な企画展でした。
エロ本か?みたいなものが飾ってある部屋もあり。あれは一体何なのか、わかる人、是非教えてください。
ただ驚いたのが、入り口の最初の部屋と出口前の最後の部屋が村上隆なんですね。これを一体どう考えるのか。
この分野、あまり語る言葉を持たないのですが、東浩紀の「データベース消費」の話は面白くて、村上隆のスーパーフラットという概念も、物語的な奥行きを失ったところでキャラクターがばらばらと乱立しているように見えるので、この枠組みで語ることが可能なものなのだと理解しています。
ヨーロッパは、なんというか、歴史なのか社会なのか、なんだかわかりませんが、とにかく何かに「根ざしている」という感覚があります。生活していても、ヨーロッパ人と話していても、何かこう、硬いものに根を張っているように思う。
多様な言語や異なった文化のものがごちゃごちゃに混ざっていて、ユーロ圏での移動も盛んなので、絶えず「自分とは違う他者」を鏡にして「自分とは何なのか」を突きつけられているからなのかな、と思ったりします。
言語も、特に小国は自国語以外の言語を話さざるを得ない状況になっていて、そういう意味で自国語が客観化されているように思います。
そういう環境的差異があるので、村上隆的なものが、一体この地域でどういうように受け入れられているかはちょっとよくわからないですよね。
博物館的に「なにやら自分たちとは異質なもの」を鑑賞しているのか、それともそういう状況にヨーロッパと言えども近づいていて、近未来的なものを感じて観ているのか。
これは一体なんなんでしょうかね。