韓国・台湾勢の気持ちになって考えてみると、次の行き先が見えてくる







「いつか日本を見返してやる」と決意した韓国・台湾・中国勢が、この10年どういう思いで仕事をしてきたかに想像力を巡らせてみましょう。 



おそらく似たような立場で、敗戦後の日本の大先輩は仕事をしてきたのだと思うのです。 ソニーの設立趣意書という、井深さんが書いたものがあるのですが、これを見ると、敗戦後の日本の復興が仕事をする精神の中の重要な一本柱になっているのが分かります。 松下幸之助さんの水道哲学も、貧乏と向き合って、それを何とかしたいという社会的精神が会社経営の重要な一本柱になっているのが分かります。





ちなみに、こういう設立趣意書を英語に訳して外国人のスタッフに見せると変な顔をされます。当たり前ですね。





今の50歳代以上のマネジメントが不幸なのは、戦後の創業者世代が簡単に共感を得ることが出来た時代背景がないということだと思います。 「国を再建したい」とか「貧乏をなくしたい」とか「アメリカに追いつきたい」という、共感を得る大きな物語が背景に無いので、従業員を一丸とさせるのが非常に難しい。



特に、80年代に日本の製造業が名実ともに欧米を凌駕してしまってからは、人を動機付ける強い社会背景が喪失してしまました。喪失というか、本当は「目標達成」ということで、これはすごいことなのですが、とにかく一つの大きな物語がエンディングを迎えたのは確かです。



そんな中、会社は物語のエンドロールで残る余韻のように、過去の延長線でなんとなく売上は拡大しているけれど、中身を見ればそこには「Fin」の文字しかないわけです。個人も高度経済成長後の泡沫の経済繁栄の中で物語から分節されてフワフワと浮いてしまい(これこそがポストモダンという現象だと思う)、強い動機付けを失いました。





日本企業が韓国企業に追い抜かれている原因は、分析すれば色々出てくるでしょうが、根本的にはこの物語の有無の差だと思います。もはや大きな物語が成立しなくなってしまった日本で、日本人を中心として会社経営をしている一方で、韓国・台湾企業は「いつか日本を追い抜いてやる」という物語を中心にこの20年間を過ごしてきた。



その差だと思います。



結局、人間は社会と人生という物語の舞台の上で生活をしているので、そこでの脚本に力がなくなると、とても生き難くなるのだと思います。ま、死にはしませんし、そもそも大きな物語を否定して生きる方法を選んだ人も居るとは思いますが、それは少数派で、大多数の人にとっては今でも何か大きな物語が必要なんだと思います。







それを踏まえたうえで、これからの日本企業はどうするべきなのか。





実は僕は、日本企業の未来を非常に楽観視しています。というのも、とてもラッキーなことに時代が目に見えて動き始めていて、今度は世界規模の大きな物語が勃興してきたからです。





早く、それに気づいて、新しい物語にコミットすれば良いのです。







このまま行くと人類は滅亡するのではないか、という危機感が今後10年くらいで急速に拡大すると思います。



地球温暖化の話は、最近クライメートゲートの暴露話などが出ていて、眉唾感が出てきたようですが、分かりやすく予想できるのは、資源が枯渇するという事態。この話はローマクラブの成長の限界の時から認識されているはずなのだけれど、タイムスパンが数十年にわたるので、一人の人間が認識をするには難しすぎるのかもしれません。



今、この瞬間は、新興国の経済勃興が、世界経済全体を下支えしているので、成長万歳と言っていますが、世界が全体的に発展していけば、当然、資源不足の話が加速され、あるタイミングで大問題として認識されるようになるはずです。



人間の基本的な欲望は「より豊かに暮らしたい」なので、持続可能な社会を作るためにはどうしても革新的な技術的イノベーションが必要です。これが大きな物語に繋がっていく。





これからの大きな物語は「人類の未来を守る」になります。 





これだけ大きな物語はこれ以外に無いでしょう。国の再建とかは絶対にだめ。なぜならグローバルな共感を得られないから。 日本企業に勝ちたい、も駄目。これもグローバルな共感が得られないので、「人類の未来を守る」というミッションを挙げた企業には勝てません。



企業は早くこの物語にコミットしたほうが良い。そして、それを達成するためのテクノロジーの開発に全神経を集中させる。日本のメーカーはそれが性に合っています。