[]「色即是空」の映画表現に見えた。なぜこれがカンヌでグランプリなのかとても良くわかる (「殯の森」(2007)を観た)

もがり




僕にはこの作品は仏教の概念である「色即是空」の映画表現に見えました。



この映画にはストーリー展開がほとんどありません。描かれているのは、認知賞の老人「しげき」の死別した妻への思念と、そのしげきを停めるでもなく追うでもなく、森の中をついて行く真千子としげきの関係です。そして、その二人を包むように、奈良の小さな村と茶畑と森が映し出されています。



それだけです。映画の内容はそれ以上でもそれ以下でもありません。



しかし、これを観る観客は、この映画が、すなわち、そこで描かれている世界が、人と人、生きている者と死んだ者、自然と人との「関係」で成り立っているということを明確に理解します。しげきは23年前に死別した真子との関係の中に生きており、真千子はしげきとの関係の中に自分の存在を見出します。そして二人が歩く森は、何か大きな生命体のように、二人とつながりを作っています。



その関係が無ければ、ここで描かれている世界は突然消えてなくなります。





例えば、そこらの草木を建材として庵を結ぶ場合、庵が出来上がれば庵という現象が成立していることになる。しかし、庵を分解して草木にしてしまえば、庵という現象は成立していないことになる。つまり、庵は「存在している」とも言えるし、「存在していない」とも言える。これこそが竜樹の解釈による「空」の概念である。この世のすべての物事(色)は相互に因縁によって結びつき、ある現象を構成している。つまりこの因縁の関係性こそが「空」なのである。 (出展:「空とは」 wikipedia





グローバル化が進み、世界をさまようお金が産業構造を変え、先進国の仕事を奪い、地域を変え、共同体を壊していく中で、たまらなく不安な空気が漂い始めています。



この不安を払拭してくれるメシアを待望する考えが出てきてもおかしくは無い社会状況に入りつつあると思うのですが、そういうメシア待望論ではなくて、そもそも世の中は「色即是空」なのだ、という仏教的な考え方がとても価値あるものに見えるのは自然な成り行きだと思います。



この作品が2007年という時代の変革点の中でカンヌのグランプリを取ったと言う事実は、僕にはそのように見えます。