学校はもっと生徒の思考スタイルを鍛えるべきでは?知識を詰め込む前に。

bcg




仕事をする上で、自分の地頭の悪さに辟易することが多くて困っています。が、型にはめて使い方を訓練することによって、ある程度思考スタイルは矯正できると思っているので、折に触れて、自分の頭の使い方が型と比べてどうなのか、ということをチェックしています。



そのときに使うのが写真にあるような本。(ここにあるのは、コンサルティングのスタンダードな頭の使い方と働き方を簡単にまとめたものです。会話の本も一冊入っていますが。。)



この辺の本って、読むだけだと「へー、そうなんだ」で終わってしまうので、自分の日ごろの具体的な思考結果をゆっくり考え直すときの刺激剤として使うことを意識した方が良いように思います。練習問題を解くような読み方をする、ということ。



「こういう情報を目の前にしたら、まず○○と考え、次に△△と考え、作業としては××を始める」ということを考えるチェックとして使っています。



この手の思考訓練って、本当はもっと若いうちにやっとくべきだったと思うんですね。おそらく高校から大学の教養課程くらいにかけて。



思考の型は一つでは無くて、こういうコンサル的な思考の型以外にも色々と必要な頭の使い方はあると思います。でも、いずれにしても、思考スタイルの頭の切り替えを10代のうちからやっているのといないのとでは、その後の人生に大きく差が出てくると思うんですよね。情報の処理のスピードや、思考の結果としての人生の進路の選択が大きく変わってくるので。



学校って、知識を伝える場所である以前に知識の吸収と咀嚼の方法を徹底して身につけさせるための社会装置だと思うんですが、どうもそういう機能がうまく働いていないように思います。



フランスの一部の学校では、試験はすべて「口頭試問」だということを聞いたことがあります。頭の中に入っている情報を紙の上に出し切って得点を競うのではなく、教師から与えられた情報をインタラクティブにどう解釈するか、その思考を試しているのだと思います。



教育のシステムって、本来はそうあるべきなんでは無いかと思いますよね。自分が高校の校長になったら、絶対そういうカリキュラムを組みますね。ゆとり教育の「ゆとり」の部分は本当はそういうカリキュラムの自由度を上げる用途で使ったらよかったのにと思いますね。